カトリック教皇


カトリック教皇はキリスト教の典型(アーキタイプ)です。彼は何をしますか?彼は座って、そして座っています。彼は空っぽの殻のようなものです。彼には個性がありません。ただ座っているだけの、人間のクズです。これこそ、キリスト教の「聖人」の典型です。

わざわざこのような役立たずを連れ出す必要はありません。写真を持って来て、見えるところに立てておけばいいのです。そうすれば、時間も手間もエネルギーも節約できるし、同じ目的を果たすことができます。いわゆる「聖人」と呼ばれる人たちも同じです。彼らは何も言いません。完璧な奴隷は、何の個性も持っていないのです!

これは霊性とは全く逆のものです。霊とは、生命、感情、動機、本質、目的という意味です。真の霊性とは、まるで高感度の爆弾を装着したかのように動き回る人や、緊張病患者のように宇宙を見つめる人にはないものです。

霊魂を持つものは、自分の人生を精一杯生きます。カトリック教皇とその仲間は、死を促進する宗教の、反生命、反霊性の典型例です。カトリック教皇の姿は、腐った死体を引きずっているようなものです。バチカンのトップクラスの聖職者たちが、一時期、富と引き換えに魂を与える契約を異星人のグレイと結んだという報告があります。グレイは、彼らが「ザ・ワン(The One)」と呼ぶエネルギーの塊の中に人間の魂を収穫しています。キリスト教の宗教には霊性がありません。それはすべて物質的で、死に焦点を当てています。

昨年、小児性愛のスキャンダルがついにバチカンの手に負えなくなったとき、カトリック教皇はサタンのことを 「地獄の陛下」と呼びました。 彼らのこの教皇が本当に霊的に打ちのめされたことが、世界の前で見て取れました。

[この説教は主にあの愚かな「教皇ヨハネ・パウロ2世」について書かれたものですが、非常に多くの教皇たちにも当てはまります。]


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