1973年の映画「エクソシスト」は、人々をサタンから遠ざけるために恐怖の戦術を用いた露骨な例です。恐怖を与えるだけでなく、映画の中に含まれるサブリミナル・メッセージも恐怖を増幅させるために多数使用されています。この映画は、1968年にヒットした「ローズマリーの赤ちゃん」に対抗して作られたもので、「ローズマリーの赤ちゃん」はサタンをいくらか肯定的に描いています。
もちろん、冒頭のシーンは、サタンをはじめとする本来の神々が多くの神殿を持っていたイラクが舞台になっています。そして、占いボードのシーン。ここでのメッセージは、占いボードは危険であるということです。これもまた、人類を助けたいと願っている本来の神々とのコミュニケーションから人々を遠ざけようとする試みです。人々を本当の神々から隔離することで、キリスト教という嘘がまかり通って、すべての人を奴隷にすることができるのです。
12歳のリーガンがバックブリッジの姿勢で階段を駆け下りてくるシーン[ヨガへの直接的な攻撃]や、もちろん憑依によって現れたと思われる身体のねじれもあります。そして、空中浮遊のシーン。ここでのサブリミナル・メッセージは、ヨガに近づくなということです。映画が進むと、すぐに首の骨が折れた男が登場します。もちろん、彼の首は後ろ向きです。しかし、敵は人類がその事実に目覚めることを望んでいないので、さらなる恐怖の戦術が使われています。
映画「スペルバインダー」もそうです。テレキネシス、パイロキネシスなどの霊的な才能が、邪悪なものとして描かれています。これに加え、サブリミナル・メッセージとして、バックにはニューエイジの音楽が流れています。霊的な力には何としても近づくな、ということがここでのメッセージです。
「ブレス・ザ・チャイルド」では別の曲をやっています。ここでは、キリスト教会と同じように、知恵遅れが高く評価されています。キリスト教は、彼らのおかしな嘘と馬鹿騒ぎを永続させるために、知性の欠如を重んじています。政治的に正しいシステムは、知的障害者を「特別」と呼んでいます。何の冗談なのでしょう? つまり、わざわざ考えたり、頭を使ったりする必要はありません。もしそうなら、誰もが自分の脳を損傷して、世界中が「特別」になればいい、バカであればあるほどいいのです。知性があって、考える人は、決して完璧な奴隷ではありません。愚かさ、無知、無教養はすべて完璧な奴隷状態を作り出す要因であり、このような嘘を広める人々はそれを知っているのです。
もう一つの、サタンを主人公にした映画で繰り返されるテーマは、「正義は間違っている」というサブリミナル・メッセージです。反撃するな、敵の好きなようにさせろ、などです。サタンは正義を象徴しています。正義がなければ、文明は混乱に陥り、腐敗が蔓延し、支配されます。そして、すべての個人の自由が失われ、国全体が奴隷国家になります。ここでの心理は、犯罪があまりにも手に負えなくなり、何も知らない人々が、すべての人の市民的自由と自由が奪われる厳しい法律を文字通り懇願する罠にはまるようにすることです。何も知らない人々は、犯罪の全面的な取り締まりを引き換えに、喜んでこれらを手放します。そして、大量殺人が起こり、すべての自由が失われるのです。サタンは個人の解放、自由、正義のために立っています。
残念なことに、このリストはまだまだ続きます。根本的なメッセージは、今も昔も、「自分に力を与えるな!」です。
自分自身を高めることで、私たちはもはや敵の奴隷ではなくなります。サタンは奴隷や隷属を嫌うので、何としてでも人間を彼から遠ざけなければならないのです。
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